Tuesday, 6 January, 2009

「Valleywag」のブロガー、ブログの抹殺を企てる

10月 23日 at 3:00 pm by アンディ メレット -

Valleywag(バレーワグ)の“ベリースペシャル特派員”を務めるポール・ブータン氏は、WIRED Magazine(ワイアード・マガジン)に、リンクベイトのようなエントリを投稿している。そして、その目標は十分に達成されている。

最初の数行に関しては異論はないが、ブログの時代は終わり、マイクロブログ(あるいは同氏は別の呼び方をしているのかもしれない、なぜなら“ブログ”という言葉自体が下品な言葉とされているのだ)を運営し、Facebook(フェイスブック)のようなソーシャルネットワークにリンクを張る行為が今後流行すると言う、同氏の極端な考え方には同意できない。

“ブログを立ち上げるって?そんな貴方に、心優しいアドバイスを贈ろう。やめておこう。すでに立ち上げているなら、今すぐやめることを勧める。

ウェブログを運営するのは、薦められない。4年前とは状況が変わっているのだ。かつて、庶民的な自己主張、そして、賢明なアイデアを発表するオアシスとなっていたブロゴスフィアは、金に汚れた泥沼になってしまった。アマチュアのライター達が世に出す真正な言葉は、安物のジャーナリストや秘密裏のマーケティング・キャンペーンによって、かき消されてしまうのだ。ハッカーを除けば、注目してもらうのは、ほとんど不可能に近い。それでも、わざわざブログを始める必要はあるのだろうか?鋭く、ユーモアたっぷりのエントリを綴るために時間を費やすなら、Flickr(フリッカー)、フェイスブック、あるいは、Twitter(トゥウィッター)で自己主張するべきである”

これは数ある意見のなかの1つに過ぎない。しかし、ブータン氏には、ワイアードという強烈な選挙カーを与えられているため、その効果は絶大である。それでも、その一方で、ブログは、企業のブランド戦略に欠かせないと考えている人もいれば、シックスアパートのCEOのように、ブログは衰退する経済を乗り切ると考えている人もいるのだ。

確かに注目されるのは、4年前と比べれば、遥かに難しくなっている。“ブロゴスフィア”は、スプログ、PR、ほとんど役に立たないサイト、そして、Technorati(テクノラティ)等、以前より格段に質が落ちたブログサービスが乱立し、混雑している。それでも、気づいてもらえる可能性が完全に消滅したわけではない。

また、低レベルなブロガーの数が飛躍的に増加していることも事実だが、これは避けることが出来ない問題である。

私が尊敬している多くのブロガーは、ソーシャルネットワーキング・サイトやマイクロ・コミュニケーション・サイトの利用は、ブログに取って代わるものではなく、あくまでも補足的な存在に過ぎないと考えている。カラカニス氏は、ブロゴスフィアが「大きくなり過ぎ、他人行儀になり、親密な雰囲気が失われしまったため」、ブログをやめたのかもしれないが(完全に同意しているわけでない)、これは「ウェブログのネットワークで巨万の富を得た」人が言うセリフではないような気がする。いずれにせよ、なぜ、すべてのブロガーが引退しなければいけないのだろうか?

私は、大規模で、プロフェッショナルで、チーム主導のブログ(例えばEngadget(エンガジェット)、Valleywag(バレーワグ)、Lifehacker(ライフハッカー)、The Huffington Post(ザ・ハッフィントン・ポスト)など)も、そして、小規模でニッチに特化したブログにも活躍する場は残されていると思う。確かに、特定のニッチ(“ゴシップ”)に関しては、荒らし的なサイトで汚染されてしまっているかもしれないが、個人的には、自分が所属する分野の大半のトピックには満足しており、素晴らしいコミュニティを楽しんでいる。

ブータン氏は、“テキストベースのウェブサイトは、魅力的ではない”と仄めかしているが、ブログはテキストでなければいけないルールがあるのだろうか?私がチェックしている数多くのブログ(そして、寄稿しているブログ)は、テキストだけではなく、動画、そして、オーディオも用意している。

さらにブータン氏は、“YouTube(ユーチューブ)、フリッカー、そして、フェイスブックのようなソーシャル・マルチメディア・サイトの登場により、写真や動画を掲載するのが、テキストを入力するのと同じぐらい簡単になった”と語っている。これは、正しくもあり、そして、誤りでもある。確かにテクノロジーは進歩し、簡素化されてはいるものの、オーディオや動画は、非常にポピュラーになったために、例えばBlogspot(ブログスポット)を使ってテキストで怒りの言葉を並べるよりも、ハードルは上がっている。私は、これらのサービスをブログの一部、そして、延長線上で利用している。確かに、簡単ではあるが、ブログの取り組みの1つであることに変わりはない。

次にブータン氏は、私達ブロガーは、単なる羊であり、マネごとをしているだけだと主張する、ロバート・スコブル氏の言葉を引用している(スコブル氏に反感を抱いているわけではない)。“私はブログを主に長文の記事を投稿するために維持している”。そう、それがブログなのだ。何か問題があるのだろうか?

個人的には、140文字の“テキスト”あるいは同様のオーディオや動画でしか、自分の言いたいことが言えない世界には、何の魅力も感じられない。もしかしたら、ブータン氏は、現代の社会は、金魚の寿命ほどしか注目を維持することが出来ないような社会だと言いたいのかもしれない。しかし、長い文章の何がいけないのだろうか?

最も人気が高い(そして、同時に最も嫌われている)類のブログのエントリでさえ、トゥウィッターに組み込むのは難しい。例えば、何らかのランキングのトップ10をトゥウィッターで紹介することが出来るだろうか?そう、その通り。それぞれ、14文字で表現しなければいけなくなる。出来るものなら、やってみよう。

“現在のブロガーには、ハッフイントンやニューヨークタイムズに対抗できるレベルで、賢く、鋭く、そして、ユーモア溢れるエントリを投稿することが求められている。しかし、トゥウィッターの文字制限により、人々は同じ条件で競うことが出来るようになるだろう”と、ブータン氏は結んでいる。

同氏が言及しているブロガーのタイプが私には見えてこない。配信企業から報酬をもらっているブロガー(正確には、フリーランスのライター)は、厳しい契約上の義務を全うする必要があるものかもしれないが、個人的なブロガー(ブータン氏が滅亡を嘆いているタイプのブロガー)は、自分の好きなことを言うことが出来るはずである。

トゥウィッターの文字制限により、本当に同じ条件で競うことが出来るのだろうか?所詮、無理な話である。注目を集めたいのなら、結局、そのために戦わなければならないのだ。

@WiredReader: ブログややめろ。2004年は終わった。Googleには気付いてもらえない。HuffPoやNYTには敵わない。コメントも間抜けだ。Facebookで会おう

こんな文章が、今後四年間のコミュニケーションのスタンダードになるのなら、それこそ、辞退させてもらおう。

ライター紹介: アンディー・メレットは様々な企業や非営利団体で、管理スタッフとして、そして技術スタッフとして勤務した経験を持つ。これまで携わった職種はウェブ開発やデータベース開発、システム分析、プログラミング等、実に多彩だ。アンディーは現在フルタイムのプロブロガーであり、取り扱うテーマは消費者用テクノロジー、インターネット、音楽そして社会等、とても豊かである。また、Tech Digest(テク・ダイジェスト)HDTVUKiPhonic(iフォニック)等の多数のShiny Media(シャイニー・メディア)のブログに記事を投稿し、他にもPiano & Synth(ピアノ&シンセ)Family Relationships(ファミリー・リレーションシップス)等のプロジェクトに取り掛かっている。またFacebook(フェイスブック)のヘビーユーザーとしても有名である。現在アンディーは英国の中心地、ロンドンで生活している。

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