私は、ジャーナリズムの学位を取得したことを誇りに思い、学校、そして、前の職場で学んだことを常にブログに生かそうと心掛けている。
ブログと従来型の報道は、人々が思っているよりも、多くの共通点を抱えている。どちらのメディアに対しても、ストーリーの発見、そのストーリーに対するリサーチ、記事の執筆、ヘッドラインの作成、そして、根拠となるメディアの発見という要素の多くが絡み合ってくる。
それでは、プロのジャーナリストは、ブロガー、その中でも特に新人/アマチュアのブロガーに対して、何を教えることができるのだろうか?また、逆にブロガーは、印刷世界のメディアに対して、オンライン・メディアについて何を教えることができるのだろうか?
結局、どちらのサイドも、学ぶことは数多くあり、耳を傾けることができるか否かが重要になってくる。
ブロガーへのレッスン
多くのブロガーが、デジタル時代においては、大手マスコミを恐竜のごとく扱い、はねつけている。購読部数が落ち、広告費が他のメディアに回されているため、従来型の印刷メディアは、変化そして役割の低下に対応せざるを得ない状況に置かれているとみられているのだ。
しかし、印刷メディアのジャーナリストから得られる知恵は、今でも絶大である。多くの新聞誌は、数百年にも及ぶ歴史を持っており、そのため、彼らのスタイルやフォーマットから、ストーリーを記事にする方法に関して、素晴らしい見解を得ることができるのだ。
- ストーリーを掘り下げる: ブログに対して下される正当な批判の中に、ブログが反響室となり、一つのストーリーが何百回も繰り返されているという指摘がある。ストーリーを徹底的に掘り下げよう。他のブロガーの言葉を繰り返すのは止めよう。電話で連絡を取り、メールを送り、引用を手に入れよう。大半のジャーナリストは、記事の執筆にほとんど時間をかけていない。聞き込みや事実確認に多くの時間を割いているのだ。関係者にインタビューを申し込んだり、他人が持っていない情報を手に入れることで、古いストーリーに新鮮味を加えることができるのだ。
- 視覚的に記事を綴る: テキストの大きな塊は、退屈且つ読みにくい。テキストを定期的に分割することは重要である。こうすることで、パラグラフが短くなり、2、3行になる。小見出し、リスト、イメージ、表なども、読み易くする効果がある。
- 極端な分かりやすさ: 極端な分かりやすさは、理解してもらうために維持するのではなく、誤解されないようにするために必要なのだ。情報を提供するペースを緩め、シンプルな言葉を用い、曖昧な意味を避け、不要なアイテムを削除しよう。余計なことは言わずに、伝えたいことだけ述べるのだ。
- 情報源の記載: 常識ではない情報を提供するときは、とりわけその情報が賛否両論を呼びそうなときは、情報源を記載しよう。ウェブでは、ハイパーリンクを使えば、それで済んでしまうのだ。マナーとしても、慣習としても優れている。
- ヘッドラインの記述をマスターする: ヘッドラインを作るのは、非常に難しい。ウェブ上には、印刷媒体が抱えるスペースの制限は存在しないものの、説明的且つ短いヘッドラインを綴るルールは、損なわれていない。ヘッドラインは出来るだけ短くして、通常は9単語以内におさめる必要があるが、それでもストーリーの内容を説明しなくてはならない。
だからと言って、すべての記事にこれらのルールを厳格に当てはめる必要があると言うわけではない。そうではなく、ブログの文章を改善する有益な教訓として捉えよう。時間や創造力により、これらのルールを破ることもあるだろう。新聞や雑誌でもたまに行われている。しかし、印刷メディアから得られる教訓がこのルールに詰まっていることを忘れるべきではない。
しかし、教訓を得ることができるのはブロガーだけではない。大手マスコミ自体、耳を傾けるつもりがなくても、ブロガーから学ぶことはあるのだ。
ジャーナリストへのレッスン
ジャーナリストのなかには、ブログと仲直りし、自分のブログを開設する人も増えつつあるが、大半のジャーナリストは、今だに、トレーニングを受けていない、ただ働きのブロガー達と一緒にされることを毛嫌いしている。
しかし、ブログがメディアとして成功を収めつつあるため、ブロガー達が正しい行動を取るようになってきており、“古いメディア”が、彼らから学ぶこともあるはずである。とりわけ、ウェブ上に進出しつつある状況を考えれば、尚更である。
- ざっくばらんなトーン: ジャーナリスティックな文章のトーンやスタイルは、世紀を通してほとんど変わっていない。ジャーナリストは、客観的で人間味を持たない文章を書くようにトレーニングされているため、ブログと比べると、冷たく感じる人もいるだろう。プロフェッショナルとパーソナルを同時に維持することは難しいが、不可能ではなく、多くの読者もそれを望んでいる。
- 訂正ポリシー: ブロガーが訂正ポリシーを持ってないことを笑うジャーナリストも多いが、ウェブ上で誤りやアップデートに対応する手法は、新聞誌上に謝罪文が埋もれてしまう、クラシックな手法よりも好まれている。ウェブ上に進出する新聞は増えており、是非彼らにこの手法を学んで欲しいと思う。
- 会話: 新聞や雑誌は、テレビやラジオと同様に、誌上に掲載される反応に関して、厳格な管理体制を敷いている。これをウェブに当てはめることはできない。ウェブでは、記事であれ、エントリであれ、会話の出発点に過ぎないのだ。大手マスコミの中には、このポイントを認識している人もいるが、いまだに理解していない人達もいるのだ。
- 競合者との協力: ジャーナリストは、慎重に情報源を記載するようにしているが、競合する新聞社や機関を参照先として挙げるのは嫌う傾向がある。心情は理解できるが、同じジャンルの他のブログにリンクするのを拒否してしまうと、記事にするネタを手に入れることは非常に難しくなってしまう。ブロガーは、競合者にリンクを張ることを恥ずかしいことだと思っていない。読者にとって有益になるのなら、ジャーナリストも同じことをするべきである。
- 「無料」に焦点を当てる: 多くの報道機関は、ウェブに進出する際に、作品を無料で提供するという考えを受け入れることができずにいる。Wall Street Journal(ウォール・ストリート・ジャーナル)を含め、複数の機関は、大部分のコンテンツを有料化している。有料のブログはとても珍しく、集団へのアピールに支障をきたすだろう。
結局、大手マスコミは、ブロガーが夢見るほどのリソースと経験を持っているが、その一方で、ブロガーは、ジャーナリストが達成することができない、深く、豊かな関係を築いているのだ。
結論
20年後、私達がニュースを手に入れる方法は、現在と全く異なるものに変わっているだろう。ブロガーや大手メディアのジャーナリストが、その新しいメディアで主役になろうとするなら、そのメディアを迎え入れ、変化を起こす準備を整えておくべきである。
しかし、過去と現在の教訓を学ぶこともその過程の一環である。築き上げてきた経験を足場とすることで、現在の活動を改善することが出来るだけでなく、強固な未来へ向けた一歩を踏み出すことができるのだ。
ニュースの報道が今後どのように変わっていくのかについては予測することはできないが、質の高い報道と読者が求めるものを提供しようとする意欲が必要とされることは間違いない。これらの2つの要素を組み合わせることができる人が、今後長らく安定した地位を確立し、その一方で、出来ない人は、一時的な流行、あるいは、時代遅れの存在として、見放されてしまう可能性が高い。
情報、そして、ニュースにとってはワクワクする時代であり、私自身、私達が今後どのように取り組んでいくのか非常に楽しみにしている。
ライター紹介: ジョナサン・ベイリーは盗用、コンテンツ盗作、そしてウェブの著作権問題をテーマに取り上げ、Plagiarism Today(プレジャリズム・トゥデイ)でブログを書いている。ジョナサンはコンテンツ盗作問題に対応するウェブマスターが正確な情報を集め、この変化の激しい分野で取り残されないようにこのブログを2005年に始めた。それ以来、コンサルティングサービスをウェブマスターや企業に提供し、彼らが現実的なコンテンツ保護戦略を考案できるように、そして効果的な著作権ポリシーを策定できるように支援している。ジョナサンは弁護士ではなく、彼が提供している情報も法的なアドバイスとして捉えるべきではない。
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