著作権の問題に関して言えば、多くのブロガーが、自らトラブルを招いているものの、本人はまったく気づいていないことが多い。
このようなブロガー達は、イメージを利用し、どこで取り込んだかに関して何も考えずに、エントリに挿入してしまう。そして、他人が書いた記事の大部分あるいは全文を使い、綴った人のことを考えることなく、コンテンツのコピーは公正利用にあたるため守られていると自分に言い聞かせ、自分のブログに利用してしまう傾向がある。
この類の行動に及ぶブロガーは、大きなリスクを抱えてしまうだけでなく、公正利用の知識、公正利用の仕組み、そして、公正利用によって保護される事柄に関する理解が欠けている何よりの証拠である。その結果、多くのブロガー、とりわけ新人のブロガー達は、自らを危険な立場に置いてしまうのだ。
公正利用を用いるためには、保護する対象を理解するだけでなく、その限界を探り、保護が及ばない活動および避けることのできない問題についても把握しておくことが肝要である。
基礎
このサイトに以前投稿した記事の中で、私は公正利用の基礎、さらに、利用が公正と見られるのか、あるいは侵害と見られるのかを特定する4つの要素に触れていた。
今回の投稿では、公正利用を、ユーザーの権利として捉えるのではなく、実際には、著作権保有者の権利の制限と捉えることの重要性を説明していきたい。公正利用は、特定の状況下で、制限をかけ、許可のないコピーを認めるのだ。要するに、公正利用は、自分が持っている権利ではなく、侵害が疑われる場合に利用することができる防護策なのだ。
公正利用の目的は、言論の自由を締め付けるために著作権法が悪用されないようにすることである。作品の部分的なコピーは、解説、批評、教育、そして、パロディに対して利用するべきである。大部分をコピーし、商業的な目的のためにそのまま利用する行為は薦められない。
ウェブ上のモノをコピーし、出典先を明記することで何でも公正利用になると思われる節があるが、実際に公正利用に当たるのはごく僅かである。公正と考えられる利用は、非常に狭い範囲に限られているのだ。
非常にもどかしいのは、利用が公正にあたるのか、あるいはそうではないかを判断する公式がないことだ。 10%ルールやx-秒ルールを主張するブロガーもいるが、公正利用は、問題の事実関係を推し量り、ケース・バイ・ケースで決められるのだ。ある訴訟で裁判官が“公正”と判断しても、別の訴訟では侵害と見なされる場合がある。
要するに、公正利用の範囲は狭く、曖昧であり、そのため、著作権を制限する手段だと誤って解釈されているのだ。公正利用に対して、“著作権の最も著しい濫用”と表現する人までいるぐらいだ。また、公正利用と主張するケースのほとんどが、よくても違法すれすれであることは明白である。
しかしながら、法律の曖昧さ以外にも、公正利用に頼るべきではない理由は存在する。出来る限り“公正”に利用しても、ブロガー達を恐怖のどん底に突き落とす問題点が幾つかあるのだ。
法廷
公正利用の最も不便な点は、公正利用自体は、権利ではなく、侵害に対する防御であり、主張を確立するためには法廷に立たなければいけない点だ。
つまり、誰かのコンテンツを利用し、公正利用に頼る場合、法律に完璧に準拠し、明確であっても、著作権の保有者が訴訟を起こす行為を止める手立ては何もないのだ。さらに、彼らはコンテンツに対してDMCA通知状を送りつけ、少なくとも10~14日間は、ウェブから削除させることも、また、同様に検索エンジンから削除させることもできるのだ。
もし、著作権の保有者が、作品の利用を侵害と捉え、問題を徹底的に追及する気になれば可能であり、問題が長期化する可能性もある。こういった類の訴訟は通常多額の訴訟費用が必要になり、時間が費やされ、頭痛の種になるのだ。
訴訟が棄却され、万が一、著作権保有者に被告の訴訟費用を支払う裁決が下ったとしても、時間とストレスの問題が解消されることはない。
そのため、法的な問題を考える際には、法廷で勝てるかどうかを考える前に、そもそも当事者にならないことを第一に考えるべきである。それ故、公正利用(とりわけ違法すれすれの利用)に頼るのは、賢いアプローチとは言えない。
なぜなら、これらの訴訟では、たとえ“勝っても”、結局、様々なものを失う羽目になるからだ。
安全第一
やはり、著作権問題を避けるためには、他人の作品を利用しないことが一番安全である。自分が撮影した写真、そして、自分が綴った記事のみを使い、他人が作成したコンテンツは避ける。これが出来れば理想だ。
当然だが、これは現実的ではなく、誰も従おうとは思わないはずだ。これを完璧にこなすには、自分のブログ・ソフトウェアを開発し、テーマを作成し、自分の作品を利用し、すべて自分の言葉で文章を綴らなければならない。こんな神業を実際に実行できる人はごく僅かであり、実行しようと思う人はさらに少ないはずだ。
それを考えると、出来る限り再利用を許可している作品を探し出すことが、最も理想に近い方法だと言える。他人のコンテンツを取り扱うときは、Creative Commons(クリエイティブ・コモンズ)のラインセンスが供与された作品を探すことが望ましい。しかし、Stock.XCHNG等のサイトも、無料でCCを利用しない認可ラインセンスが供与された作品を提供している。
このような作品を利用しても、完璧に問題を防ぐことはできない。とりわけ、著作権の保有者がそのようなライセンス契約を認めていない場合は尚更である。しかし、何も許可されていない状態で作品をコピーし、公正利用に頼るよりは、遥かに安全である。
公正利用に頼らざるを得ない場合は、出来るだけ侵害とは解釈されないように利用する必要がある。そうするために、以下の手順に従うことを私は奨める:
- 解説または批評に焦点を絞る: 作品を論じるために利用しよう。レビューするために書籍から一文を拝借したり、反論するためにエッセイから引用したり、あるいは、解説するためにTV番組のクリップを利用したりする範囲なら、公正利用と解釈される可能性は非常に高い。
- 出来るだけ利用する部分を少なくする: 現実的な範囲で出来るだけ引用を短くして、イメージのサムネイルのみを利用するように心掛けよう。必要な部分にのみ焦点を合わせ、不要な部分は省くのだ。
- ひたすら出典先を記載する: 自分の主張を補強するためだけではなく、誠意を見せるために、利用する作品の出典先を必ず明記しよう。公正利用の問題に関しては常に重要だとは言えないが、それでも潜在的な問題を阻止する手立てにはなる。
- 出来るだけ形を変える: 最後に紹介するこの手順は、最も重要なポイントである。オリジナルの作品をそっくりそのまま利用するのではなく、さらに詳しく説明するように心掛けよう。他人の作品を利用するときは、“自分のコンテンツに目を通した後に、オリジナルの作品も見たいと思うのか”という質問を自分に問いかけてみよう。答えがNoなら、公正利用と解釈するのは難しい。
しかし、どれだけ誠意を尽くしても、著作権問題を回避することができない場合もあるということを自覚しておくことが重要である。著作権保有者の中には、極端な解釈をして、すべての再利用を弾圧する人もいるからだ。しかし、ほとんどの人は公正利用の重要性を認識し、利用自体が許容の範囲内ならば、事を荒立てることはない。
結論
著作権法を高速道路に例えるのなら、公正利用はシートベルトと言えるだろう。シートベルトは大事な安全機器であり、誰もがきちんと使うべきである。しかし、事故に巻き込まれて初めて、その効果が試されるのだ。
シートベルトが身を守ってくれると信じ込み、道路を逆走する行為にも同じことが言える。ウェブ上では、著作権法を軽視し、公正利用が守ってくれるなどと勘違いするべきではない。これは、多くの訴訟で露呈しているように、公正利用の脆さを学習する最も危険な方法であるばかりでなく、効果を試すためにわざわざ衝突を起こす価値などないのだ。
公正利用は重要な権利であり、策定された目的に沿って利用することが肝要である。著作権の侵害と見なされたときのために、見せ掛けだけの言い訳として利用するべきではない。
私達は同じウェブという世界の住民であり、それ故、良き隣人であるべきである。つまり、他人の作品を使わせてもらうときは、しっかりともてなし、作者の願いを出来るだけ尊重するべきである。
一方、コンテンツのクリエイターには、コンテンツを利用しようとする人達が権利を守れるように救いの手を差し伸べる義務があり、言論の自由を弾圧するために著作権法を利用してはならない。言論の自由だけでなく、いずれは著作権法自体にも悪影響を及ぼす可能性があるからだ。
言論の自由と著作権法が絡む問題から勝者は生まれない。これらの問題を避けることが、誰にとっても得策なのだ。
ライター紹介: ジョナサン・ベイリーは盗用、コンテンツ盗作、そしてウェブの著作権問題をテーマに取り上げ、Plagiarism Today(プレジャリズム・トゥデイ)でブログを書いている。ジョナサンはコンテンツ盗作問題に対応するウェブマスターが正確な情報を集め、この変化の激しい分野で取り残されないようにこのブログを2005年に始めた。それ以来、コンサルティングサービスをウェブマスターや企業に提供し、彼らが現実的なコンテンツ保護戦略を考案できるように、そして効果的な著作権ポリシーを策定できるように支援している。ジョナサンは弁護士ではなく、彼が提供している情報も法的なアドバイスとして捉えるべきではない。
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