私は以前シカゴの会社に勤務していた。この会社は自宅から西に1.5マイルの場所にある。車で通勤するなら、ガレージから出て右折し、角の一時停止の標識まで進む。そしてさらに右折をすると次の角が見える。さぁ、次はどうするだろう?また右折するのだ。そのブロックの最後の角に辿り着くころには、運転するのが楽しくなってきている。赤信号が灯るT字路に差し掛かり、また右折して、すぐにハンドルを左に切ると、住宅街に出るのだ。
次の12ブロックかそこらは道なりに進めば目的地に辿り着くが、2ブロックおきに一停止の標識があるのでそのたびに止まらなければいけないのだ。そして最後の右折が待っている。1ブロック進んで駐車スペースを探す。午前7:30までに着けば、ロックスター駐車場にはまだ空きがあった。
インターネットでその会社を訪問するなら、リンクをクリックする。
その会社では、私は教育関係の出版物を取り扱う部門で働いていた。とりわけ私達が取り組んでいたのは、60年もののライティングプログラムに多くの改定を加え、初版当時の情熱と目的を蘇らせることだ。
2週間前のワシントンでのミーティングで、友達がある話をしてくれた。彼が海外旅行をしているとき、隣に他の教科書出版社のスタッフが隣に座っていたことに気づいたそうだ。2人は今後について語り合った。彼の勤めている出版社は7年後には教科書事業は採算が取れなくなると見込んでいると言っていた。米国と英国に伝統的な教科書を販売する事業は過去の遺物となるのだと。
今まで3人の学生が学校の論文用に私のブログを引用する許可を求めてきた. . .
私のブログに掲載されている情報は教科書には載っていなかったのだ。
初めてインターネットを利用したとき、何事にも場所や方角を当てはめようとしていた。未だに心の目を凝らし、ブログやウェブサイトが世界地図のどこら辺にあるかを頭の中で考えていることがある。話の山場はこれから。
車で通勤することができる、3D世界のあらゆる会社— 建物と社員 — のように、インターネットも場所である。しかし同時にそこで毎日暮らし、働き、遊ぶ人々でもあるのだ。
しかしながら、忘れてはいけないことがある。2つのインターネット— 場所そして人々 —は世界地図上には存在せず、物理的な世界の2つの出版社が従うような3D世界のルールに従うわけでもないのだ。インターネット&ソサイエティ2007カンファレンスで、カリム・レハニのまとめのスピーチを記述したドック・シールズのノートを読めばよく分かる。
新しくネットワークされた環境の現実は、物理的な世界の現実とは大きく異なる。数ある変数のなかでも、充足、不足に関しては新たなルールが策定されている。物理世界では有効な管理方法の多くは、インターネット上では利用できない。あるいは失敗に終わる。— これはインターネットの本質を侮辱する行為でもある。それでも二つの世界は共存し、重なり合っている。物理世界から借りてきた言葉ではなく、ネットワークされた世界を理解するには、物理世界から借りてきた言葉ではなく、インターネット世界の言葉を使って理解することが重要になってくる。慣れるまでにはしばらく時間がかかりそうだ。
時間がかかるだろう。慣れてきた人もいる。私達は学んでいるのだ。分からないことはまだまだある。
私が子供の頃、21世紀がどのような世界になるのか教えてもらったことがある。その中には10年前に実現したものもあれば、つい最近実現したものもある。未だに実現する見込みがないものもある。私が一番楽しみにしていたのは空飛ぶ車だ。
空飛ぶ車がお目見えする見込みはない。
シカゴの会社から車を運転して帰宅するとき、さらに複雑な道順を辿らなければならなかった。ブラウザーの戻るボタンを押すだけならとても簡単だ。
どこにいても、1回クリックするだけで、ほとんどの人に会えるのに、空飛ぶ車など必要ない。
インターネットが完成したとき、私はこの世界にいるのだろうか?
[リズ・シュトラウスはコンピューターの住民だ。SOBConの設立者でもあるリズはSuccessful-Blog(サクセスフル・ブログ)でリレーション、会話、そして変わりゆくインターネットについてブログを書いている。そこに空飛ぶ車が駐車されていても驚く人はあまりいないだろう。]
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