一ヶ月ほど前、私はグループで来る会議のパネルディスカッションを計画していた。人を招待して、ビジネスブロガーはビジネスブログで個人的な情報を分かち合うべきかを訊いてみるという提案がされていた。情報を取るのか、リレーションを取るのかが質問の中心であった。
私は会場のパネルとオーディエンスを想像してみた。「意見が等しく真っ二つに分かれるようなテーマに辿り着く機会は、— 政治と宗教以外では — あまりないだろうね」。計画に関する議論が終わってすぐ、気がつくと私はパネルを思い描いていた。そしてベン図に書かれたパネルの円が重なり合うことはないだろうと悟った。私には見解の相違を埋められるとは考えられなかったのだ。
全く異なる世界観 — 情報を求めるか、リレーションを求めるのか。それぞれの見解の定義が異なる。静的か動的か、お好きな方をどうぞ。
この大きな問題はウェブ上に立ちはだかっている。
リンクとは何だろう?リンク=クリック+トラフィック+グーグルランキング?それともリンクは、君を知っていること、君のコンテンツを読んだこと、君のコンテンツは自分のコンテンツに関連していること、そして君のコンテンツは自分にとって価値があることの証明なのだろうか?コメントとは会話をすること?それとも買ったり、借りたりできるものかな?
私達が暮らすインターネットは2つの世界から成り立っている。従来型の世界に存在する会社にそっくりだ。場所、情報そしてデータ。つまり人々が働く建物である。そしてもう一つが人々、リレーション、そして会話だ。つまり建物の中で働く人々のこと。構造、社会と言い換えることもできる。
confused at calcutta(コンフューズド・アット・カルカッタ)に投稿されていた記事を読んだ私は、ソフトウェアを説明する難しさを思い出した。
そこで残した彼の言葉を聞いて、私がサービスとしてソフトウェアの働きについて初めて話したときに、私に向けられたこわばった表情のことを思い出した。多くの人にとって、ソフトウェアとは名詞であり、無生物なのだ。そしてサービスとは実際には名詞なのにも関わらず、「~する」という言葉であり、動詞に近い。ソフトウェアからサービスを切り離すと、人々の心の中にこのような一連の問題が形成されてしまうのだ。
この記事を読んで私の心の中でこだましたのが「クルートレイン宣言」だ。そして、ダニエル・ピンクの本、「A Whole New Mind(ア・ホール・ニュー・マインド)」の冒頭の文章が脳裏をよぎった。
過去数十年間は特定の知性を持つ特定の人達が支配していた — コードを動かせることが出来たコンピュータープログラマー、契約書を作ることが出来た弁護士、数字を処理することが出来たMBA保持者。しかし成功への鍵は、その所有者を変えつつある。未来は全く違う類の人々の手の中にあるのだ— 創造性豊な人、他人の気持ちが分かる人、意義を見出せる人、そして意義を作りさせる人だ。
君は新しいタイプかな?自分を出さずに意義を作り、他人の気持ちを汲み取ることなどできるだろうか?
8,000万ものブログがある中で、技術関連のブログ、新しいニッチ、そしてデータベースにある技術の価値のみに関心を寄せている人が皆さんの中にもいるかもしれない。 グーグルがFeedburner(フィードバーナー)を1億ドルで買収。ブログが、積極性を見出し、個人の成長を促し、そして情熱を見つける能力に優れていることに気づいた人もいるかもしれない。
もっと注意したほうがいい人もいるかもしれない。
それではまとめに入ろう. . . ネットサーフィンするのがメインなのか、それとも奥深くまで探求するのがメインなのだろうか?奥深くまで行くなら、徹底的に情報に没頭するのだろうか?それともリレーションに没頭するのだろうか?
リレーションのない情報にいったい何の価値があるのだろうか?
[リズ・シュトラウスはリレーションに関する情報をSuccessful-Blog(サクセスフル・ブログ)で綴っている。]
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