ここ数日、一連の個人的な問題が私の自尊心を試している。私は自尊心を見出せることを願い、執筆そしてブログに夢中になっていた。先日自信を持って書いた記事を投稿したのだが、最初に寄せられたコメントで不愉快な侮辱を受け、心が折れてしまったのだ。
涙が流れ落ちた。なんであんなことが言えるのだろうか?真実とはかけ離れているではないか。私が言った事でもなければ、意図したことでも、考えもしなかったことだ!地べたに叩きつけられ、踏みつけられたような感覚を覚えた。
心の中で叫び、卑劣な世界にうんざりした私は散歩に出かけ、砂利道で地団駄を踏むことで、失望を解決しようとした。帰ってきてから、もう一度読んでみると、そのコメントがそこまでひどくないことに気がついた。実際、特に害はなかった。
私はブログで自尊心を包み込んでいた。個人的な痛みで自分の視点を歪曲させていた。そして周りがすべて敵に見え、私の言っていることは否定されていると思った。
あなたもこのような経験をしたことがあるだろうか?
個人的なブログを実現せよ
大部分のブロガーにとって、ブログはとても個人的な存在だ。自分自身を、情熱を、感情を、自分の意見を、クリエイティブなエネルギーを、悲しみを、そして喜びを表現するために選んだ手段である。自分自身を表現する行為と、役に立つと思った情報や価値があると思った情報を提供する行為との間にある関係に捕らわると、ほんのちょっとの侮辱を受けただけで、ブログの自尊心について考え直すようになる。
ブログを書くことで、世界との親密なコミュニケーションにつながることになる。私達はたくさんのエネルギーをブログの記事に詰め込む。伝えたいこと、そして正しく伝える方法について細部まで調べ上げる。自分の言いたいことが伝わるか、一語一語に気をもみ、苛立ったりする。ぴったりの文句を使って、意味が伝わるように努力しているのだ。私達は自分の読者のことや、彼らが自分から何を知りたいのかについて思いを巡らし、求められていることを与えられるように最善を尽くすのだ。
こういった善意が厳しい批判や徹底的な反対論に迎えられた場合、打ちひしがれてしまうだろうか?傷ついてしまうだろうか?
気分が悪くなると、全世界が敵に見えてしまうことがある。兆候は至るところに存在し、私達が役立たずで、使えないと言っているように感じられることがあるだろう。頭の中のフィルターに情報が流れ込み、現実ではなく、聞きたいことだけ通過していく。一番負の強化を行いたくない場所こそブログなのだ。
私の記事に寄せられたコメントのうちほとんどはポジティブなもので、ネガティブなものはたった1本であった。気になるのはどちらであろうか?あなたの予想は?あなたも同じことをするだろうか?
しかし世界には鈍感なブロガーもいる。彼らは自分のすべてを出し切り、心の奥にある考えや感情、不満、怒りをさらけだし、客観性を妨げるどんな障害にも耳を貸さない。そして企業を代表するビジネスブロガーには多くのパンチが浴びせられ、その中の何発かはブログの顔に命中する。攻撃されるのが分かっているのにも関わらずブログを続ける勇気とは如何なるものだろうか?
そして彼らは今日もまたブログを書き続けている。
ネガティブな意見を無視できるようになるまでには、相当の痛みが蓄積されるだろう。そうではないだろうか?あなたもその痛みを乗り越えたのだろうか?
ブログの記事が攻撃されたとき、あなたならどうするだろうか?どのように反応するのだろうか?反応するのだろうか?反応するべきだろうか?周りがすべて敵に見えたときに、どうやったらブログを書き続けることができるのだろうか?
それとも散歩にでかけ、戻ってきてから結局敵ではないことを理解するのだろうか?敵だと思ったのは自分自身だったのだろうか?それからブログを書き続けるのだろうか?
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ローレル・ファンフォッセンはブログとWordPress(ワードプレス)をテーマとしてLorelle on WordPress(ローレル・オン・ワードプレス)でブログを書いている。
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1コメント
ブログの記事を書いて、泣いたことありますか?…
あなたにとってブログって何でしょう?このローレル・ファンフォッセンは「自分自身を、情熱を、感情を、自分の意見を、クリエイティブなエネルギーを、悲しみを、そして喜びを表現 (more…)