Sunday, 7 September, 2008

ブロゴスフィアでもイジメっ子には同情の余地なし

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3月 29日 at 12:39 pm by トニー ハン -

もしここ数日Techmeme(テクミーム)にアクセスしていないなら、または集団生活を怠っているなら、ブロゴスフィアで大騒動が起きていることも知らないだろう。Creating Passionate Users(クリエイティング・パッショネイト・ユーザーズ)のキャシー・シエラは最近「Meankids(ミーンキッズ:いじめっ子)」というピッタリの名前がつけられたブログ(削除されているため)と最低でもあと一つのブログ上で、著しく悪意のある方法で名指しされたようだ。彼女が腹を立てているコメントは通常の未熟なコメントの範疇を超え、殺害脅迫や明らかな女性差別が述べられているコメントだ。彼女はまた殺害脅迫文が掲載されたメールが一通送られてきたことも明かした。

彼女の境遇には同情するが(彼女は家に帰るのが怖くなり、講演をキャンセルし、警察を呼んだ)、彼女が槍玉に挙げた関係者には、良かれ悪しかれ、このような嫌悪感むき出しの攻撃に加担したのだから全く同情の余地がない

なぜかと言うと、

ちゃんと向き合おう。匿名という覆面をかぶることにより、人間は最低な行為をすることができるようになってしまう。本名が添えられていたとしても、ギャングのような考え方がブロゴスフィアにはその最盛期でさえ染み付いていたではないか。人間は集団で行動する生き物だ。感情が高まる。どちらが先に相手に嫌な思いをさせるかということを競い合うようになるのだ。

正直言って、ミーンキッズが起こそうとしていたのは、まさにこのような精神が原因だ。

全く同じ人間が、狼狽するブロゴスフィアと共に、キャシー・シエラの下に結束し、ルール違反だと非難の声を上げることに私は腹黒さを覚える。激励と同意見を見出すために、報復的なフォーラムを作るなんてあり得ない。結果はネガティブな感想がほとんどであった。

ブロガーは数や著者に関係なく、コメントに対応する義務がある。これは自分のコメントコーナーを弾圧するということではない。結局、我々がブログに惹かれるのは「言論の自由」があるからである。

我々の多くは、大体のコメントを受け止めるが、受け入れられない類のコメントもあるため、中間地点に属するのではないだろうか。我々のコメントポリシーも同様だろう。

人種差別的なコメント、憎しみに満ちたコメント、トピックに関係のないコメントにはフラグが立てられ、削除の対象となる。

しかし、もし制限を設けず、匿名も認め、個人的な攻撃は日常茶飯事であり、検閲を認めないという立場を取っているなら、その結果に向き合う準備をするべきだ。クリス・ロックとThe Head Lemur(ザ・ヘッド・レムール)は誰が中傷しているのか分からなかったのか、誰が殺害脅迫メールを送っているのか分からなかったのだろう。

それでも彼らがただ単に検閲するのは自分たちの仕事ではないと言って、責任逃れをするのは論外だ。論外の極地ではあるが、彼らは児童ポルノでさえ削除しないのだろうか?社会保険番号を公表しようとするハッカーの攻撃にはどのように対処するのだろうか?殺害脅迫も無視するのだろうか?

ちょっと待って。最後の例はもう通過させていたね— しばらくの間だが。

ブログの運営者がこういった攻撃においても責任を持つべきだと言えば、それは少し言い過ぎかもしれない。しかし彼らには責任感のかけらもない。彼らのサイトはFrank Paynter(フランク・ペインター)が重い腰を上げ、正しい行動をとったことがきっかけとなり、廃止された。シエラの問題で噴出した強烈な反応は想定外であったのだろうか?もちろん想定内であっただろう。結局のところ、「芸術」そして「風刺」を装って、批判し、中傷し、さもなければ意地悪く他のブロガーを攻撃するという子供じみた行動のなかで増幅することを許してしまった、ブロガーの悪い癖がまた出てしまったということだ。

[原文へ]


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