確かに、Dove(ダヴ社)が「ウイルス」的なEvolution(エボリューション)ビデオを利用して世間の注目を集めている。昔のタネ明かしのように、「美」におけるイメージの裏側にあるごまかしを公開したのだ。ウェブ用にブランドがコンテンツを製作するトレンドはBMWがショートフィルムを製作した2001年と2002年にまで遡る。(トレンドを何と定義するかによっては、もっと遡ることもあるはずだ)。
今やすべてのブランドがこぞってコンテンツ作成に乗り出し、消費者の注目を得るための熾烈な戦いに参戦している。そのため昔からの「プロ」のクリエイターと新しく力をつけた「ユーザー」生成型コンテンツの軍団に挟まれ、ブランドが本当にコンテンツ・クリエイターとして戦っていけるのだろうかと誰もが思っているに違いない。
この疑問を具体化する例を見つけた(ワシントン・ポストにあった)。
「ロイ、聞いてよ。仕事だ。普段やらないことをお金のためにやるんだ。金が要るんだろ、俺は知ってるんだ。」
現金が入った封筒を見て考えた。数秒後、「5日はかかるな。経費も必要だ。」と言った。」もし誰にでも相場があれば、この私立探偵が認めているように、彼のクリエイターとしての相場はレクサスを使うことと明らかにされなかった金額だ。一般的な前払いとしては法外だが、「グレイズ・アナトミー」のエピソードを執筆する前金よりは少ない。と言っているのはLA在住の作家、マーク・ハスケル・スミス。彼が執筆する連載小説は日本の自動車会社のプロモーション用で、焦点をどこにもっていくかを存分に検討した後で、金目当ての適当なフィクションが若くて、ヒッピーなクライアントの顧客の興味を惹くには最高の宣伝になると確信した。
一つには、このコンテンツはプロの作家が作ったので、嘘っぽいブログやブランドが無理をして失敗するのとはわけが違う。ただ単にレクサスがなくなったというストーリー設定になっただけだ。
さて、あなたがレクサスの愛好者だと仮定して、愛しき自動車ブランドの連続小説を数時間かけて読むのかもしれない。しかしレクサスに特に関心を持っていない人はどうだろうか?彼らが貴重なメディアを見る時間を、この小説もどきの広告に割り当てるのだろうか?そう、結局広告でしかないのだ。
「消費者の注目を巡った競争で、もし勝てないなら、乗っかってしまえ的な戦術」を取っていることに対してレクサスや他のブランドを責めてはいけない。それは分かっている。しかし消費者はブランド化されたエンターテイメントをその他の巷にあふれ、注目を巡って競合しているエンターテイメントからわざわざ選ぶのだろうか?
あるいは、レクサスのオーナー候補なら、伝統的な広告の集中砲火を浴びるぐらいなら、三文小説を走り読みするほうを選ぶのかもしれない。程度が肝心だと私は思う。
個人のコンテンツ・クリエイターのありのままの現実がここにある。例えばブロガーのように、他のブロガーだけでなく、昔からあるメディア企業とだけでなく、ブランドとも競わなくてはならないのだ。
さらに未知の要因がここにもある。私はYouTube(ユーチューブ)で「レクサス」を探し、このギズモードのビデオを発見した。これはレクサスが自動で並列駐車を行うものだ。既に41万7,383回視聴されている。またグーグルでレクサスを検索すると8番目に掲載されている。
こんか感じでコンテンツベースの広告を製作するのは無理かな。
それとも出来そう?
[スコット・カープはPublishing 2.0(パブリッシング2.0)でコンテンツを作成している。]
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