Wednesday, 19 November, 2008

素晴らしきコメント論争大会 僕の考えを本気にした人、手を挙げて

1月 3日 at 11:00 am by スコット カープ -

ブログのコメントに関する議論はブログが生まれたときから行われている。Zoli Erdosがコメントを残せないことを理由としてThe Official Google Blog(ザ・オフィシャル・グーグル・ブログ)はブログではないと言い放ったことをきっかけに、この議論が再び表舞台に登場することになった。マイク・アーリントンがブログと認めるためにはコメントが必要かどうか世論調査を行い、さらにこの議論に拍車がかかった。この前チェックしたときの結果を以下に記載した。

読者からのコメントがなくてもブログはブログと呼べるのだろうか?

必須事項ではないが、コメントがあれば機能がぐっとよくなる。
1223票 – 全体の40%

別になくてもいい
1009票 - 全体の33%

コメントがなくてはブログとは呼べない
791票 - 全体の26%

全投票数: 3023票

この記事自体に150個以上のコメントが投稿されている。私はこの永遠に続く議論に加わるつもりはなかったが、L.Aタイムズに掲載されていた、読者からのフィードバックに対して巧みに反論していたジョエル・ステインが書いたコラムを読んで気が変わった・・・。

インターネット恐怖症のエディターが理解できなかったことを次に挙げよう。『私は君と話したくない。声をかけるのは僕の役目だ。コラムは君と会話するために書いたのではない。話す相手はいくらでもいる。彼らの話を聞いているわけではないけどね。電話のなる音がする、母さん、僕は記事を書いているから出れないって言っておいてくれ。』

新聞の中には記者の電話番号が記事の最後に記載されているものすらある。これは記者の時間を有効にしていると言える。高齢者の市民用の施設に「苦情受付」の看板を置いたり、テーブルを設置したりする手間が省けるからだ。

しかし、これはどこまで行けば気が済むのだろうか?フィリップ・ロスは自分の書いた本の最後にメールアドレスを記載したほうがいいのだろうか?トム・ハンクスは映画の最後にメールアドレスを大きくスクリーンに表示したほうがいいのだろうか?ホテルの客室係はシートの上に自分のメールアドレスを残しておいたほうがいいのだろうか?これは異常だってことに気づいたかな。

これじゃ、きりがない。私は笑いすぎて椅子から落ちそうになった。しかし斬新だってことは認めよう。私は基本的にはコメントを支持している。ブログをやっていて最高だと思った瞬間の中にはコメント欄の激しい議論から得られたものもあるからだ。先日私は投稿した記事の中で企業が行う嘘の会話に対して警笛を鳴らし、これに「The Cluetrain Manifesto(ザ・クルートレイン・マニフェスト)」が反応した。驚いたことに、「ザ・クルートレイン・マニフェスト」の4人の著者のうち2人、デビッド・ワインバーガーとリック・レビンが素晴らしく思慮深いコメントを携えて、私の記事のコメント欄に登場したのだ。反応したのは彼らだけではなかった。私の投稿した記事が様々な深い反応を呼び込み、それらが折り重なって私の記事よりも遥かにおもしろいものになったのだった。これと同じように、私はコメント欄のほうが元の記事よりも価値のあるものになっていることをよく目にする。

では一方通行形式の旧式なタイプのブログはどうだろう?これは過去の遺物に成り下がってしまったのだろうか、それともまだ存在価値があるのだろうか?セス・ゴーディンのブログはコメントのないブログの成功例だろう。— セスは次のように述べている。

コメントは素晴らしいと思うし、ブログやブロガーの中にはコメントをブログの売り文句として捉えている。ただ私は違う。まず説明したり、すべての反対意見に対応したり、論理的根拠の誤りを指摘したりするのが嫌なのだ。そしてコメントのことを考えるだけで非常に多くの時間が費やされてしまうし、まとめることなんてできそうにない。最後に、これは一番重要なことだが、私のスタイルが永遠に影響されてしまうために私はコメントを利用していないのだ。読者の皆さんのために書くのではなく、コメントのことばかり気にして書いてしまいそうな気がするからね。

セスのスタンスに納得できないこともあるが、それに比べてジョエル・ステインはおもしろい主張を展開している。

すべてがインタラクティブである必要はない。議論しなくても、十分に価値があるブログがあってもいいだろう。

私はすべて目的次第だと思う。私がブログするときは、通常自分の考えを壁にぶつけてみて何が付着するのか確認する。わざと挑発的な立場で臨むときもある。コラム内での意見の相違からいろいろ学んだからだ。— この仕掛けに対して批判を受けたことも当然あるが、注目の的を浴びるためにやっているわけではない。ブログは有能な広報の手段にもなりえる。— ジョン・バッテルはブログを 「考えを声にする」手段と呼んでいる。私のブログのほとんどは、完璧なものではなく、丹念に調整されているわけでもない。数回叩きつけただけの粘土に過ぎない。私にとってのブログとは学習プロセスであり、コメントはそのプロセスには欠かせない存在なのだ。

しかしブログを配信する理由はそれだけではない。自分の考えを世の中に配信したいだけの人もいる。そしてコメントには大きな責任が伴うことは事実だ。私は思ったとおりにコメントに返答できないと必ず罪悪感を覚えてしまう。

その他のコメントの課題としては、同期的に会話が行われていないことが挙げられる。 — IMを使っている人はこの方法が会話を続行するにはあまり適していないことは実感しているはずだ。コメントを載せている人が会話をするというよりも、ただ単に喋り散らしているだけのときもよくあるが、もっとひどいのは、叫んでいるだけであったり、すれ違ってしまっていることだ。しかしうまくいけば、議論がとても実りあるものになるだろう。

さてと、もう私が次に取る行動が分かったかな。やはり「君」がどう思うか聞いておかないとね。一方通行のブログや配信がまだ価値があると思うだろうか?それとコメントのいい活用方法があれば教えて欲しいな。コメント待ってるよ!

[スコット・カープはPublishing 2.0(パブリッシング2.0)でブログを書き、コメントに返答している。]

[原文へ]


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