グーグルはコンテンツ配信ビジネスにおいてMySpace(マイスペース)、YouTube(ユーチューブ)、Facebook(フェイスブック)の遥か前方を独走している。グーグルは2003年2月にBlogger(ブロガー)を買収して、人気を集める「ユーザー生成コンテンツ」分野を強化した。これは無料で簡単な配信ソフトウェアを使ったコンテンツの配信を意味し、この代表格がブログである。(ブログと同様に、不運にも一般化してしまった・・・)。しかし、このオンラインコンテンツの爆発的人気がグーグルにどんな利益をもたらすのだろうか?なぜ彼らはプラットフォームを持っているのか?この答えはAdSense(アドセンス)がローンチされてすぐに判明した。このサービスにより新手の配信者達が自分のコンテンツでお金を稼ぐことができるようになったのだ。その結果、成長を続けるオンラインコンテンツ経済にグーグルが登用されるようになった。
グーグルの取り組みは当時斬新であった。今でもそうかもしれないが・・・。ブロガーの広告スペースを管理して儲ける代わりに、グーグルはお金が稼げるツールをユーザーの手中に委ね、収益を共有することで一番お金が儲かるシステムを作ったのだ。当然ながら、グーグルにはすでに成功しているAdWords(アドワーズ)プログラムを活用できるメリットがあった。アドワーズがあってこそ、数千人単位の広告主がアドセンスに流れ込むことになったのだ。グーグルの取り組みが今でも斬新に思えるのは、マイスペースやユーチューブやフェイスブック等のその他の人気プラットフォーム陣がこの流れに続けないからだ。これらのサイトは広告スペースを未だに自分たちで管理している。(但し、ユーチューブがグーグルに買収されたことでこの傾向は変わってくるはずだ。)
この違いがユーザー生成コンテンツの「搾取」に関する論争に発展することが多くなる原因だ。最近ではニック・カーがこの問題に関して意見を述べている。
注目が集まっているのは、コンテンツの中身にではなくて、コンテンツの経済的な価値である。マイスペースやフェイスブック等の多くのサイトが、生産性ツールを提供することはできるものの、出来上がった製品の所有権までは手放すことができていないことを認識している。基本的なWeb2.0経済の特徴は多くの人に生産させて、少数に経済的な報酬を集中させることだ。これはつまり小作制度であるが、生産する側の関心は自己表現や交流にあり、お金儲けではないため、彼らは大概満足している。それにどっちにしても個人の貢献における経済的な価値はたかが知れている。
マイク・マスニックもTechDirt(テクダート)で「搾取」という考えに疑問を呈している。
何から何までお金という形で報いる必要はないということが認識されはじめている(この考え方は前からある)。ユーザーは注目されることと引き換えに対価を諦めさせる策略に嵌められて、「搾取」されているわけではない。ユーザーは自らの意思で決断し、メリットについても十分認識している。これは報酬であって、「搾取」ではない。また、グーグルがお金を儲けるプロセスにおいて、人々をまとめ、サイトへ導くことでサイトを搾取しているという人もいるが、これも同じ間違いだ。繰り返すが、グーグルはこれらのサイトにメリット(トラフィック、あるいは、注目)も提供している。
グーグル検索トラフィックの恩恵を受けている人やアドセンスを利用しているブロガーとは異なり、たとえばマイスペースの大部分のユーザーには受けた注目を換金するツールが提供されていないことをこの議論に付け加える必要がある。そしておそらくほとんどのユーザーは自分たちが注目されたことによって得られる僅かな金額には興味を惹かれないだろう。しかし、私は「ユーザーは自らの意思で決断し、メリットについても十分認識している」というマイクの考えは完全に誤っていると思う。ユーザー生成コンテンツ経済の大部分の参加者は、まったく「参加すること」を意識していない。もう一度言うが、「参加すること」は、ほとんどのユーザーにとってはどうでもいいことなのだ。ニックは「収益を受け取る側の関心は自己表現や交流にあり、お金儲けではないため、彼らは大概満足している。」と述べているが、これは正しい。ただし自分を取り巻く現金経済への参加を希望する人すべてに、参加するかしないかの選択肢が提供され、これを明確に認識できるシステムが存在しないことも事実だ。
この問題はソーシャルメディアの至る所でも存在している。たとえばRevver(広告収益共有システム)に対して、ユーチューブ、ネットスケープ(有料Navigator)、そしてディグがある。この問題には倫理的な権利と誤りが共存していると私は確信しているが、私の意見はニックの「個人の貢献における経済的な価値は些細なものだ」という見解によって若干薄められてしまう。その一方で、私はマイクも問題の核心をついていると思う。— 「選択」。私が思うに、ユーチューブのプラットフォームを利用しているユーザーは、Revverを代わりに使って広告収益を享受できることに気づいてはいない(ただしRevverが経営改革を断行したことを考えるとそんなにお金が入ってくるとは思えないが・・・)。ほとんどのユーザーはユーチューブのソーシャル的な報酬を好むだろう。または、ビデオプロデューサーとしての名声を高めることで、すでに収入を得ている人もいるかもしれないが、ユーチューブはユーザーに対して積極的に「いつも投稿してくれてありがとう。また広告収益計画をサポートしてくれてありがとう。— 利益に授かりたいかもしれないが、残念ながら今のところ我々にはそのつもりはない。しかし皆さんが無料サービスには満足していることを心から願う」とは伝えていない。しかし何度も言うことだが、グーグルが買収したことにより、このスタンスが変わっていく可能性は残されている。
実際にはマイスペース等のサービスによる経済性は他の無料ウェブメールとそれほど大差はない。ともにユーザーは無料でサービスを利用し、サービスの提供者は広告を利用するからだ。
私の頭を悩ませているのは、爆発的な勢いで広がるユーザー生成コンテンツが、時間の経過とともに、限りあるメディアの注目をどのようにプロのコンテンツと分かち合っていくのかということだ。メディアの消費者が、「プロ」が作ったコンテンツ(たとえば制作費が莫大にかかるコンテンツ — ハリウッドがいい例)よりも、ユーザー生成コンテンツ(たとえば、オープンプラットフォームを利用してユーザーが作ったコンテンツ)をさらに利用するようになると、現金経済の恩恵を受けるかどうかの選択権をユーザーに一任させると手がつけられなくなるだろう。なぜなら各ユーザーが貢献する金銭的価値は徐々に増していくからだ。
ユーザー生成者が織り成す世界、団結し、覇権はいずれその手に。
[スコット・カープはPublishing 2.0(パブリッシング2.0)でメディアや技術の集中についてブログを書いている。]
[原文へ]
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